ゆっけブログⅡ

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毒親育ち日記(第1話)

f:id:hellokittyribonlove:20200209120345j:plain* 私は毒親育ちです

同じような体験をしフラッシュバッグのおきる可能性はある方は観覧注意です

毒親とは

毒と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす親、子どもが厄介と感じるような親を指す

毒になる親(どくになるおや、毒親(どくおや)と略し、毒と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす親、子どもが厄介と感じるような親を指す俗的概念である母の場合は毒母、「子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親」を指す言葉として用いた。「毒親」に関する議論は、親の「自己愛」問題が主な共通点であり、自己愛的な親について語られることが多い主に母親が対象として取り上げられる毒親に育てられたと考える人が、自らを毒親育ちと称することもある。

2008年から自己愛の強い母親とそれに苦しむ子供の問題に関する書籍が増え日本では2015年時点で毒親という言葉は一種のブームになっており、ひどい親によって被害を受け苦しみ続けている

毒親と言う言葉だけが一人歩きし
なんの解決にもいたっていないのが現状
さて毒親育ちの子が大人になり
どんな生活になるか何回かにわけて私の実体験と元に書いていきます。

小学校四年生のある日の朝、毒親の本領発揮となります

私が通ってた小学校はお昼ご飯は給食ではなかったので

毎日お弁当です

小学校四年生のある日朝母が起きてきません

当然私は母の元に行き

「お母さんお弁当」と言う

母『高血圧やから起きれん』と返事がかえってきた

起きれんと言われてもお弁当がいります。
私は自分の分と妹の分のお弁当をその日から毎日作るようになります

ちなみに高血圧で朝起きれないって事はありません

朝起きがつらいのは低血圧の方です

お間違いなく
妹は当時小学校一年生ある日私の作ったお弁当みて

【お姉ちゃんの作ったお弁当茶色】と言います

小学校四年生の作れるものってしれてます

レトルト食品を、焼く、炒める
この状態を父は母に何も言いません
何故かは私が高校生ぐらいに知ります
結婚する時に何しなくていいから結婚してと言ったプロポーズのせいか

その時すでに父も母に支配されていたのだと思います

毎日お弁当作れるのが嫌でその反動か反発かわかりませんが

家の中はいずらいと思いはじめて私は外で悪い子供になります
学校の宿題をしていかなくなり居残りで宿題をし帰宅
個人面談の日それが先生から母に伝わる
私は友達と図書室で勉強していると
ローカを鬼の顔した母来ました
私は本棚に隠れ友達も
『おるのわかってるやで出てきなさたい』と母

出ていくとめちゃくちゃ怒らたという記憶しか残ってません

居残りで宿題し帰っても母はまだ寝ています

いつからか私は無意識に母の顔色を伺うようになってました

宿題をしていかない悪い子供とレッテルを
母は父だけではなく母の妹やいとこに言った周り
母は周りも巻き込み

私をダメな子の認識を周りまでにも洗脳していきます

私はダメ子
妹はいい子と
育児格差まで始まりました。

今思えば担任の先生もお弁当を見る事を何故しなかったのだろうと思います

お弁当を見れば大人の作ったものかどうかすぐわかったはずです

当時はネグレストや虐待などと世間を騒がす事もないしそういう言葉がなかったからか?

わかりません!
周りの大人達は母が性格はきついとしか認識なかったと思います
小学校何年生か忘れましたが母の妹
私からは叔母にあたる人ですね
ある日母妹夫婦が
家に来て離婚するかしないかでもめて話をしてました
なんとなく話のわかる年齢だったので
母の妹が浮気したか旦那意外好きな人ができたらしく
母が母の妹をせめてました
母の妹の怒りの矛先が私にとび
通りかかった私に
母の妹は

『あんたもお母さんの顔色ばかり見るんじゃない』といきなり言ってきて

母が『なんでお母さんの顔色らみなあかんの』と訳のわからないとばっちりで怒られ記憶もあります

私小学生時代の母の記憶は寝ているか怒っているかですね
私の通った幼稚園、小学校、中学校は運動会は、
幼、小、中の合同運動会でした
毒親の特徴に外づらがいいのでお弁当は三段お重箱に作ってお昼前に現れてお昼は友達と食べる事はなく親戚中と食べるのでちゃんとお母さんしているアピールできる唯一の運動会のお弁当

私は久しぶりに食べたお母さんのお弁当に涙が止まらなくなりみんなにわからないように背中向けて泣きながら食べた記憶があります

今思い出しても涙がこぼれます
小学生の私母してくれた事、運動会のお弁当は作ってくれた
晩御飯も作ってくれました
普通の家の子育て中のお母さんなら当たり前の事ですが私とっては優しいお母さんの記憶は一部分です

私の小学生の記憶中のお母さんいつも寝ているか怒っている

一回だけですが髪を縛ってくれましたが

動くなとブラシで何回も叩かれて終わったら頭がボンボンしてましたしなれてない事のして不慣れで下手くそなのを私が動くせいにされ怒らながら通ってを縛ってもらう
そんな母みて小学生の私はこんなお母さんにはならないと幼いながらにも思いました。

毒親育ち日記(小学生編)