ブラック企業からも学べる事は沢山ある
私のセラピスト養成校=会社の話と独立までの道のりの話
養成校=会社がとんでもないブラック企業たった話です。
まずは会社の話
私のセラピスト研修も無事過ぎセラピスト資格試験も合格しあえてセラピストと名乗れるようになって数ヶ月養成校か30分
40分、二時間
和歌山県内に二店舗なぜかぐんと離れて新潟に一店舗のホテルにもっとセラピストとの勉強がしたいと私はホテル入る方に決め数ヶ月は三重県内で仕事してました
ホテルのチェックイン時間から夜11時まで
ホテルに行くまでも養成校でもケアのお客様が来るのでお手伝いが当たり前な会社でしたし
当時はブラック企業と言葉がなかったか?
当たり前で誰も言わないようにしていたか?
今となっては???
若い子はこんな夜遅くまで仕事してたら彼氏もできないし結婚もできないと次々技術を取得してはやめていったので万年セラピスト不足
それでも社長はケチだから使いものにならなかったセラピストに認定証は渡してなかったみたい
私がやめた後認定証の話で電話をした時に事務員さんが認定証っていくら?って社長に聞いてたのが電話の向こうの向こうから聞こえてきました。
もちろん受講料はみんな払って技術を教えもらっています
ホテルで働きはじめて数ヶ月たって
新潟に出向していた子が辞めたいと言ってきた
当然交代行かせると何回も言われながら一年
セラピストの人数も安定した頃にとうとう辞めたいとタイミングよく言ってきた
それなりに経験がありホテルともうまくやれる子は誰か上の方の人達で検討して決まったのが私でした
私は会社とつながった独立ではなく完全独立しようと心の中に秘めた思いがあったので会社の=社長の言う事にはいつもyeswomanを通してましたから
円満退職の為一年間待ち続けたセラピスト元へ~
新幹線を使わせてもらえるのかと思ってた私に
事務員さんが
「はい」と渡されたのは電車の乗り継ぎのかかれた紙
経費が経費がの口癖の社長さすがと思った
わからなければ喋れる口と聞く耳があるとやるしかない行った事のない新潟まで一人12時間かけて行きました。
一年間待ち続けたセラピストが待つホテルに夜11時前に無事つき
その日を含め引き継ぎ3日で一年間待ち続けたセラピストは一旦三重の養成校に行き地元に帰った。
私は3ヶ月の約束で新潟のホテル一人働きはじめて予想通りホテルは業者に協力的ではなかった為ホテルとの関係を和ませ働きやすい環境に次のセラピストの為に
結局交代が来たのは半年(半年休みなし)
でも人生勉強にもならセラピストとしても成長して
また12時間かけ養成校に戻り中に入ろうと
えっ~鍵閉まって入れない!
たまたま養成校の休館日と重なってた!
まずは事務員さんに電話したが出ない!
指導係の先生に電話これまた出ない!
このまま地元に帰って二度と現れないようにしようか?
そんな事を考えていたら事務員さんから折り返しの電話事務員さん兼セラピストでもあったのでホテルで仕事中もちろん来れない鍵を持っている人は限られており限られた人の電話番号は二人しか知らなかった
そうしていると指導係の先生から折り返しの電話
「帰って来たけど鍵閉まって入れないです」と私
先生「あれ今日だった」って
皆さん他人事!
すぐに先生が来てくれて無事中に入り自分の部屋に
荷物が何もない
決まりで3ヶ月以上空ける部屋には荷物置けないと次の日に聞き半年私新潟でここで一人死んでいくのかもの孤独にも耐えて頑張ってたのに行く前行って~
新潟帰って三日間の休みをもらって
私は家に帰った
私の顔の見てお父さんが涙ぐみ
私が三重にセラピストになる為に家出同然で家を出た頃お父さんの癌が首のリンパに転移が見つかり新潟に行っている間に肺炎になり命の危機になり
お父さんは母を愛しすぎた素晴らしい男性であり
二人の娘もずっと幼い子供のころのままで止まってように優しい人でした。
お父さんを見た時に
セラピストの人数が安定したら帰ろうと決め
会社では売り上げが悪く割りに合わない店舗の引き上げが次々と新しくホテルに店舗を二店舗出す計画始まったのは知らず
三店舗引き上げが決まった時に
今しかない指導係の先生のアドバイス通りに
社長と技術と商品の愛してやまないアピールをこれでもかというぐらいアピールし完全独立した。
社長の言葉は
「まあ歳やしいいよ」
確かに研修生時代は一番の年上だったけど~
まっいか
先生のアドバイスで無事完全独立した私です。
商品と技術は本当に他の何処にも負けない素晴らしい
でも会社としてはブラックでした。
現在はセラピストの養成もしておらずホテルの店舗も全て引き下げています。
ブラック会社でしたがしぶとく居座った私
何故ならこの会社のセラピストとしての技術を沢山身に付けて独立したかったからです。
本当にありがとう